1969-07-14 第61回国会 衆議院 文教委員会公聴会 第1号
生徒は、えへんと言えばえへんと書くという、いまでも続いておりますか知りませんが、そういう時代がありまして、そしてつまりませんから、一年肺尖カタルで落第しましたから、ノートを全部プリントにいたしまして、生徒たちが去年のノートを出しあってつくって、そのプリントを見ながら聞くことにいたしました。
生徒は、えへんと言えばえへんと書くという、いまでも続いておりますか知りませんが、そういう時代がありまして、そしてつまりませんから、一年肺尖カタルで落第しましたから、ノートを全部プリントにいたしまして、生徒たちが去年のノートを出しあってつくって、そのプリントを見ながら聞くことにいたしました。
当時の学校の教師などというものは、高砂族の生蕃人みたいなものでありまして、児童の陽性転化などということは全然知らないわけでございますから、大正九年のインフルエンザの大流行のあとに、学校の粗衣粗食とちょうど生理的転換期の年がたたりまして肺尖カタルになりまして、以来十数回喀血いたしまして、半生、ストレプトマイシン、ハス、ヒドラジッドができるまでの間は、私はたいへん長い間重荷を負ったような生活をいたしまして
○石川清一君 私は結核に経験がありまして、日華事変で腹膜、肋膜は勿論のこと、肺門淋巴腺から、肺尖カタル、更に肺結核になりまして、先ず最初に二カ年療養いたしまして、辛うじて癒りましたけれども、すぐ翌年再発をいたしまして、更に三年の療養をいたしました。
またもちろん公衆衛生の向上竝びに増進ということになりますれば、一番初めに對象になつてくるものはむしろ重症患者であつて、空洞がら結核菌をどんどん社會にまき散らしておる、そういうものに對して氣胸あるいは萎縮療法を試みるのであつて、肺尖カタルその他の輕症なるものは開業醫によつてもこれができるはずであります。その點のはつきりした御説明をお願いいたしたいと思う。